Colorful tiles on the roof of St. Stephen's Cathedral in Vienna

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ウィーン・プレスインフォメーション 2022年3月号 世界を席巻したウィーン生まれの10の発明

世界初の電気自動車

世界初の電気自動車は100年以上前にウィーンで誕生しました。馬車製造業者だったルートヴィヒ・ローナーとフェルディナント・ポルシェが1899年にウィーンのローナー社で完成させました。そして1900年には初のハイブリッドカーも設計されました。当時、なぜこのような発明をしたのか、その理由は今の時代にも通じるものでした。ガソリンエンジンが多くなれば空気が汚染される、ローナーはそう考えたのです。しかし、高額な開発費と特許を巡る争いは、数年後にローナーポルシェがウィーンからなくなるきっかけとなってしまいました。www.lohner.at

世界初の屋内スキー場

廃駅となっていたウィーン北西駅の到着ホールに、1927年世界初の屋内スキー場がオープンしました。おがくずを混ぜた炭酸ナトリウムと水で、人工雪が作られました。スキー用の滑走路(コース)が2本、そり用のコースが1本、競技用のジャンプ台を備えたこの雪の宮殿は、この年ウィーンの人気スポットとなりました。当初は多くの人が殺到しましたが、炭酸ナトリウムが原因で呼吸困難や痒みが出ると報じられ、一年足らずで閉鎖となりました。

世界初のウォータープルーフマスカラ

必要は発明の母。1920年代ウィーンの人気歌手だったヘレーネ・ヴィンターシュタイン・カンバースキーは、照明の熱で頻繁にマスカラが落ちてし舞うことに悩んでいました。彼女は化学者だった兄と自宅のキッチンで実験を始め、1930年代初めに世界初のウォータープルーフマスカラを発明したのです。そして1936年に化粧品会社を立ち上げ、自身の芸名にちなんでナッシーと名付けました。このチューブタイプのオリジナルマスカラは今でも購入可能です。ヘレーネ・ヴィンターシュタイン・コスメティックスとなった現在も、家族経営のコスメメーカーです。https://helenewinterstein.com 

正しい手洗い法

この理論はウィーンで生まれました。イグナーツ・ゼメルヴァイスが唱えたこの理論は医学界に革命をもたらしましたが、当時は受け入れられませんでした。ハンガリー出身の若い医師ゼメルヴァイスは、19世紀中頃、ウィーンの総合病院に勤務していました。ここには2つの産科病棟があり、医師が担当する病棟では産褥熱で亡くなる母親の数が極端に多く、一方、助産師が担当する病棟では産褥熱に罹る母親ははるかに少ないことに彼は気づきました。死体の解剖も行っていた医師たちは、手を洗わずに解剖室から産科病棟へ来ていました。つまり細菌がついた手で産婦に触れていることが原因ではないかとゼメルヴァイスは気づいたのです。しかし、この結論は医師たちの強い抵抗にあいました。彼は敵視され、変人扱いされて職を追われます。こうした出来事がゼメルヴァイスを壊していきました。https://www.wien.info/ja/ウィーンのすべて/センメルヴァイスと石鹸-357990

精神分析学

1899年、ジークムント・フロイトは精神分析の根拠となる著作『夢判断』を発表しました。ウィーンのベルクガッセ19番地、ここは47年間にわたりフロイトが患者の診療をおこない、そして家族と過ごした大切な場所でした。「精神分析学発祥の地」であるこの場所は現在ジークムント・フロイト博物館となっています。治療の成果と数々の研究論文によって、医者、精神分析学者、理論提唱者としてフロイトは世界的に有名になりました。そして新たな人間像を作り上げました。しかし世界の注目がフロイトに集まると、ナチスによって彼の本は焼かれてしまいました。1938年、彼はウィーンを追われ家族と共にロンドンへ逃れました。82歳でした。その一年後、末期癌を患っていたフロイトは主治医に依頼してモルヒネの過量投与を受け、ロンドンでその生涯を閉じました。freud.wien.info 

世界初の8オクターブのコンサートグランドピアノ

音楽の都ウィーンは楽器の製造においても世界最高峰です。その筆頭に挙げられるのがピアノメーカーのベーゼンドルファー社です。およそ200年の歴史をもつベーゼンドルファー社は、プレミアムピアノの分野では最も古いピアノメーカーであり、そのピアノは世界が認める唯一無二の音色が特徴です。工場では年間300台のピアノが手作業で作られています。1900年、初めて完全8オクターブの音域をもつコンサートグランドピアノを製造し、脚光を浴びました。ルートヴィヒ・ベーゼンドルファーが製作したインペリアルは、今日もなおピアノ制作の象徴的存在であり、音楽の遺産でもあるのです。音楽の鼓動が響くウィーン楽友協会の建物内に、ベーゼンドルファー社のフラッグシップストアであるベーゼンドルファー・サロンがあります。www.boesendorfer.com

世界初のオペラグラス

フリードリヒ・フォイクトレンダーは世界初の双眼鏡オペラグラスを発明し、1823年に皇帝からのお墨付きをもらいました。それまでは、演劇やオペラ鑑賞には単眼鏡が使われていました。コンパクトな手のひらサイズで、”オーパングッカー”(「オペラを覗き見る」という意味)と名付けられたこの双眼鏡は今なお愛されています。

世界初の大量生産された椅子

トーネット社のウィーン・コーヒーハウスチェアは、ウィーン生まれの有名なデザイナーズ家具で、世界で製造量の最も多い椅子に数えられています。1860年にミヒャエル・トーネットによって設計された「No.14」が成功をおさめ、ここから近代の家具生産が始まりました。分業による新しい製作工程は、世界で初めて量産を可能にしました。現在「No.214」と呼ばれている椅子は6つのパーツに分解できるため、世界中へ輸送することが可能です。水蒸気で無垢材を曲げる技術を発明し、家具製造に革命をもたらしたのです。ドイツのラインラント出身のトーネットは1849年ウィーンに自身の工房を構えました。しかしすぐに、木材が豊富で安い労働力のあるメーレン(現在のモラヴィア)に拠点を移しました。ゲブリューダー・トーネット(トーネット兄弟)工房は、世界に通用する企業となりましたが、そのルーツはウィーンにあるのです。www.gebruederthonetvienna.com

ジャンプ遊具 ルフトブルク(空気のお城)

ウィーンのプラーター公園内にある複数のレストランを経営していたエリザベート・コラリクは、1977年に空気を入れて膨らませた巨大な遊具(Hüpfburg:弾むお城)を発明し、これをルフトブルク(Luftburg:空気のお城)と名付けました。彼女は娘のために、飛び跳ねて遊べるお城の形をした小さなマットレスが欲しかったのですが、寸法を間違えてしまい巨大なルフトブルクが出来上がったのです。今では、ルフトブルクの販売とレンタルが事業の中核になっています。https://kolarik.at 

ヴィエノワズリー

ドイツ語圏ではヴィエノワズリーという概念は存在しません。フランス、イギリス、アメリカなどの国では、ヴィエノワズリーは「ウィーンのもの」という意味で、ウィーンのパンを指します。なぜなら、キプフェルと呼ばれるパンがウィーンから世界へ広まったからなのです。19世紀、ウィーンの製パン技術はとりわけ評判が良く、製パン技術を学びに世界中からパン職人がウィーンにやってきました。ウィーンのパン作りは今また復興の時を迎え、ヨーゼフ・ブロートなどのベーカリーが新しい時代の流れを作りだしています。www.joseph.co.at

テーマ2022「人生を祝おう ウィーンを体験しよう」に関する情報:celebrate.wien.info

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Vienna Tourist Board
Matthias Schwindl
Media Relations
Tel. (+ 43 1) 211 14-361